死ねという言葉。
学生の頃、特に高校生の時、ブームのように"死ね"という言葉が飛び交っていた。
その言葉には一つの意味しかないはずなのに、幾多もの意味を含めて、軽く弾むように舞っていた。
そう思ってしまうことはきっと今までもあっただろうし、これからもあるだろう。
大嫌いな人がいて、或いは大好きな友達がいて、
本気で、或いは冗談交じりに。
言葉というものには、気持ちを伝える為の不思議な力が宿っているものだと、僕は思っていて。
相手のことが大好きだったり、
腹立たしいことがあったり、
途轍もなく悲しいことがあったり、
そんな感情を言葉にすることは時に難しくて、だけど大切です。
死ねという二文字は、簡単に使ってはいけないのです。本当に。
死ねと思ってしまうことはこの先もあるでしょう。人間ですから。
死ねという言葉を相手に伝えることは必要なのでしょうか。
僕は必要だとは思わない。
何が楽しくて、冗談の死ねが使われるのだろう。
小学生の頃、何度かふざけて、死ねという言葉を言ったことがある。
何かをきっかけにしたのだろう。それからは死ねという言葉、それに類似した"きしょい"、"消えろ"という言葉は一切使わなくなった。
自分がまともだというよりは、これらを使う人間が狂っているのだと思う。
言葉って物凄く力があります。
もっと伝えた方が良い言葉がたくさんある。
ブログ開始2本目にして、少々どぎついタイトルになりました。
こんなことばかりは書きませんので。笑