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某社長のRT企画、話題になっていますが、客観的に見て普通に凄いことだとは感じる。
この企画、フォローとRTした人の中から抽選で選ばれるみたいで、それ以外の具体的な条件はないみたいだ。それもまた夢があっていいなと思うし、年末ジャンボが当たらなかった人への遅れてきたソレみたいなアレで面白いなと。
ただ、個人的には100万円が欲しい人ではなくて、本当に100万円が必要な人に届いてほしいかも、と思うので、リプライでその思いをきっちりと書いたものを社長が読んで判断するという風にすればもっといいのかも、とも感じる。
実際、適当に選ぶのではなくそれを踏まえて判断されるのかなとは思うけど、そうするのであればそれも含めた企画にするとより素敵に見えた気がします。
そうすると、適当な嘘を並べたりする人ももちろんいるでしょう。そんなのは当たり前なんですけど。
社長ならそれを見抜ける力はありそうですし、と思わせられながらないかもしれないですが。
ぶっちゃけて言うと、見抜けなくてもよくて、嘘を並べた人が当選してもよいのです。もちろん何かに困っていて本当に100万円が必要な人が当選すればそれ以上に素晴らしいことはないですけど、当選した人がたとえどのようにそのお金を使おうとも、そんなことを全て含めての企画なのかなと。
遊ぶお金が欲しい人が当選して、その人がその後に罪悪感を持ったとしても、それはまた意味のあることなのかもしれなくて。
大抵の場合、罪悪感持たないかもしれないですが(笑)
そのお金を誰かの為に使う人に一人でも多く当たればいいですけど、そうじゃなかったとしてもそれはそれで夢がありますね。
100万円当たった人が全員、豪雨や台風などの天災に見舞われた地域の人達への復興資金として寄付すれば…とか、むしろ100万円ずつあげないでそのお金全部寄付すればもっと格好良いですよ、とかの感情はぼんやりありますが(笑)
そんなことを格好付けた感じで、お前誰だよという感じで語ってしまっている自分はですが、
この企画には応募していません。自分なんかが当たったら申し訳ない……なんて格好付けたことは思ってないですよ。
理由? 社長が好きくないから。
社長すげえみたいな雰囲気を出しておきながらの、前置きでした。
そんなお話でした。
砂糖色の昔話
母方の祖父が何でも出来るスーパーマンだった。
子どもの頃、おじいちゃん子で、何でもしてくれようとしたり、遊び道具を作ってくれたり、とにかく優しい、そんな祖父が大好きで。
小学生の頃は、毎週水曜日に家まで来てくれて色々とお菓子を持ってきてくれたり、とにかく来るたびに孫のために何か喜びそうなものを用意してくれた、そんな人でした。
将来はこんな人になりたいなとその頃から思っていたのか、大人になった自分はそんな祖父の影響を受けて、小さなサプライズで人に喜んでもらったり、何でもない日にちょっとしたプレゼントを持って行ったりすることが自然と多くなった。
ふらっと立ち寄ったお店で、このデザインはあの人が好きそうだなとか、このキャラクター確か好きだったよなとか、あいつそういえばあんなこと言ってたな…これあげたら喜ぶかな?、みたいなことが頭に浮かぶと値段をあまり気にすることなく買ってみたり。
ただ、最近そんな小さなサプライズが受け手を困惑させたりすることもあるんだなって、考えれば当たり前のことだったりするんだけど、気付かされました。
自分にとっては善意であっても、相手にとっては要らないお節介の場合や、迷惑に感じることもあるんですよね。
喜んでもらえると思って準備したものを、断られるとは思ってなくて断られたときは正直かなりショックでだいぶと落ち込んだりもしたけど、自分の考えが甘かったなと反省しました。
申し訳ないことをしました。
そんな風なことを思って頭の中を整理していた12月の末でした。
もう、年末で、もうあと1日で今年も終わります。
今年を振り返った時に悲しかったことがなかった年は自分にとってマイナスだと思っているので、今年も良い年になったのかなと感じる30日です。
音飛びのない世界、赤い糸。
今日もどこかで一人、一人と、死んだ。
電車の乗換アプリをスマホに入れていると、毎日のようにJRから遅延情報が通知される。
一週間に2〜3度、人身事故の情報が流されてくる。
一体どんな人が亡くなっているんだろう。
それは、事故の場合やそうでない場合。
後者の方が多いのかどうか。
これまでの人生で、これからの人生で関わる人。
どこで誰が何をして。
昔に関わった人は今何をしているのか。
向こうは覚えているのか。
自分は忘れてしまったのか。
そんな人と人の縁を乗せて回るこの星で。
自分はそんなことを大切にしていて。
人と関わるのが嫌いなくせして、人が好きで。
可能なら誕生日だったりお祝い事にはおめでとうと伝えたいし、その人のために何か贈り物をしたい。
そんな時間も好きで。
それぞれ大切な人がいて、自分にもそんな人たちがいて。
支えられているから支えたい。
何気ない言葉に救われることもあったり。
だからこそ、人が突然いなくなることは、たとえ知らない人でも知りたくない響きで。
人が人を大切にしなくなった時、地球は何を乗せて回るんだろう。
光の華、幾千の便り。
昨日の帰り道。
空を見上げると。
秋の夜空。
くっきりとオリオン座。
この季節は少しひんやりするけど、
空気が澄んでいて気持ちいい。
昨日の夜、夜空の星に気付かれた人はいますか。
最近曇り空続きだったので、昨日は特にはっきりと。
黒硝子に蜂蜜の雨。
羽を待つ場所
死にたいなあと思えるぐらい辛いことが日常の中に潜んでいて、そんな悪者が時々顔を出したりする。
そういうお話をするのは、誰しも、とまでは言わないものの、半分くらいの人間がそう思ってしまうような経験をしてきたんじゃないかな、と思うから。
ある人の歌で、そんな感情に沿った歌詞があって、その時に少し、生きることを考えたことがある。
生きていれば、実は大概が辛いことなんじゃないか。
そうは思わないけど、楽しいことや嬉しいことよりも、辛いことが刻む音はどれよりも大きく響くから辛いことの方が多く感じてしまう。
それさえ跳ね除けてしまえる嬉しいことが頑張る背中を支えてくれる瞬間があって、だからこそ生きていける。
生きるってそういうことなのだろうか。
人間にとって、生きること自体が命題なのかもしれないから、生きることは頑張らないとその一歩一歩はとても大きく楽しかな物になっていく。
生きることは。それは。
喜びはつかの間
仕事をしている中で、
黙々と熟すというか、慣れている作業中は考え事をしたり、何も考えなかったりするんですが、
気分が良い時は、頭の中で色んな曲が流れてきたりします。色んな曲というのは、日毎に違うという意味で、
一日として考えると、その日はずっと同じ曲が流れていることが多いです。
そしてその曲は、昨日聴いていた好きな曲やテレビの音楽番組で聴いた曲だったり、それこそ昨日どころかしばらく聴いてないような曲だったりすることも。
その影響で、しばらく聴いてなかった曲を「ちょっと今日帰ったら聴こうかな。」と思えたりすることも多くて。
持ってない曲だったりすることもあって、なぜかそれをキッカケにして購入してしまったり、そこからハマってしまったり。
ハマるといっても、そのアーティストというよりもその曲だけの場合が多い。
しかしながら、そこからそのアーティストに突然興味を持ったりすることもしばしばあったり。
一昨日は、吉野裕行さんの「レディースアンドジェントルメン」が延々と流れてましたね。
その前日に聴いていたとかそんなことはなかったので、やっぱり不思議なところ。
しかも、曲の一部分だけがループという場合がかなり多いですね(笑)
と、そんな私の今朝の夢はなぜか鈴木達央さんと友達という設定で、肩を組みながら歩くというものでした。たつさんが夢に出てきたのも久しぶりでした。
そんな毎日。